イスラエルの朝やけ
イスラエルフィルとガリー・ベルティーニ氏「第九」を歌う旅2
 旧市街はクリスチャン地区・ムスリム地区・アルメニア人地区・ユダヤ人地区に分かれていますが絶妙のバランスを保っていたように感じました。あの場所はあの人は今はどうなっているのだろうと思いながらそのまま綴ってみました。現在の状況を理解できない部分もありますが、あの場所にもう一度行きたい気持ちは今もやっぱり変わりません。どうしてだろう・・・やっぱりあそこが始まりであり、なぜかなつかしくて世界で一番不思議な場所だからかな・・・ ホーム
便利情報('01/4) イスラエル(エルサレム)! 観光情報(2001/4現在)
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 同じ道を昼はクリスチャンが聖墳墓教会へ行き、夕方はイスラームが岩のドームへ向かう

<エルサレム2>
 今回宿泊のホテルはイスラエルならではの
キブツ・ホテル。キブツはイスラエル独自の社会主義的共同体で私有財産は持たず必要なものは全て供給される。国内で消費される野菜・果物はほとんどがキブツで生朝食の山盛り野菜たち・・パン・チーズ・オレンジジュースここはヨーロッパ?産されている。だから、朝食は様々なパンとコーヒーのほかに山盛りの取れたて野菜にオリーブオイルと塩をかけて食べるシンプルだけどおいしい食事なのだ。ユダヤ教の食の規定「コシェル」をきちんと守っていて獣肉は牛、羊、鹿はOK、豚、ウサギ、らくだはNO。チキンはOK。エビ、タコ、貝類はNO(-_-;)。肉と乳製品は同時に取らない。(だからチーズハンバーグは食べられない^_^;)夕食は肉が出るので朝食用の食器とは別にする。ここまで徹底されてるとどこか小気味いい。規定は厳しいけれど1週間過ごす分にはそんなに制約は感じません。もちろん非コシェルの店もあって、離散の歴史がもたらしたものでしょうが、本格的な各国料理がどこでも食べられてしかもおいしいのです。街で食べるファラフェル(ヒヨコ豆のコロッケ)入りのピタサンドやオレンジ・ザクロのジュースも最高!ただしお菓子は甘すぎてどうにも食べられません。

ベツレヘムはイエスが生まれた「聖誕教会」があるところ。クリスマスには広場までしか入れないとのこと。聖書を翻訳した学者ヒエロニムスの像の足元には翻訳に協力したローマの婦人パウラのしゃれこうべが置いてある。死後は骨をそばに置き作業を続けたとか・・
 ここは様子がガラッと違ってアラブ人の町である。不思議な感じですが、アラブ人がすべてムスリムというわけではないのですね。

 その日は、指導者の提言で全員が各自見学することになっている、第2次世界大戦中ナチス・ドイツによって虐殺された600万人のユダヤ人を慰霊する目的で建てられたホロコースト(=虐殺の意)の博物館ヤド・バシェム(=記念と記憶の意)へ。
 イスラエル人への迫害は遠くモーゼの時代にも、エジプトで増えすぎたイスラエル人に恐れを感じたファラオにより”生まれた男の子は全て川に投げ捨てろ”との命令が出た、と聖書に伝えられているが、神は彼らを助けるために今度はイスラエル人以外の子どもを皆殺しにしたとか。
 かつてイスラエル人のためにエジプトに吹き荒れた神の風が、今度は人間の心の闇によって、何倍にもなって返ってきたのだろうか。神に選ばれし民の、だからこそ与えられた運命の重さ。乗り越えてきたユダヤ人の強さを、本当の意味で理解することは、私達には出来ないだろうと感じた。
 目を覆いたくなる 人が人に対して行える残虐な行為の数々
それは決して聖書の中の話ではなく今も現実に戦争という形で行われている。それもやられたらやり返すという最悪の応酬を繰り返しながら・・・「私の為ではなく、自分達の為に泣きなさい。自分の子孫の為に泣きなさい。」と自分を迫害するユダヤ人の民衆に言ったイエスの言葉を思い出した時、自分の中にも同じ闇はあると思ってすこし泣いた・・
写真は一枚も撮れなかった・・・

 12月だというのに真夏日並の30度を記録したある1日は、皆でツアーに出た。バスの中イスラエルでの注意点を日本人ガイドの人から受ける。手荷物は容易に手放さない事。持ち主のはっきりしない荷物は爆破処理される事になっているとの説明にあの「
嘆きの壁」の爆発音の意味を初めて知り、今自分がイスラエルにいる事の緊張が一気に高まる。
 まず妹が「子供の頃からの夢だったのに」と憤慨していた
死海へ。海面下398mと世界で最も低い所にある塩水湖で向こう岸はヨルダン。塩分含有35%の死海の塩はミネラル豊富でもちろん体は浮くけれども本を読める姿勢を保つのは至難の技。白っぽい泥を体に塗って「本当に肌がツルツルー!」と言いながらおおはしゃぎで浮遊を楽しみ、ローマで見たティトス凱旋門の後日談となる「マサダ(=要塞の意)」へ。ローマ軍がマサダをおとすために造った道が残っている
元はヘロデ王が改築し貯蔵庫・食料庫・サウナを備えた美しいモザイクの残る冬の宮殿として造られたもの。しかし紀元70年にはローマ軍に追い詰められた最後のユダヤ人熱心党員900名が2年間立てこもった。
 ローマ人はユダヤ人を使って(攻撃できないように・・)マサダに至る道を造って攻め入り、ユダヤ人達は最後に7人の女子どもを除き、まず家主がその家族を殺害し、残ったものがくじを引いて負けた者が勝ったものを殺害し、最後に自決したという。その悲惨な結末が「ノーモア・マサダ〜全滅を再び繰り返すな」と言い伝えられ今もイスラエル軍の入隊宣誓式が行われていることに、ティトス凱旋門の舞台裏を見せられた気がした。これを機にユダヤ人の
2000年にわたる離散の歴史が始まるのだ。

 エルサレムの
イスラエル博物館にある有名な死海写本が見つかった「クムラン」では、緑のない砂漠と岩山で自分の許容量を超えた無限の空間の中のちっぽけな自分を思いっきり楽しんだ。
 ローマだけ観光して帰っていたら、又は、ローマを観ずにイスラエルへ来ていたら、この旅の印象はどう変わっていたかな、とぼんやり考えながら。

 イスラエル人の永い歴史の中で、イエスの生涯は一瞬にも満たなかったろう、ただ「キリスト教の聖地」というだけではなかったのだ。
 イエスが本来教えを広めようとしたのはローマではなくまず自分を迫害したユダヤ人そのものだったはず。もし、イエスの死にも選択肢があったとしたら、この風景は、どうなっていたのだろう。ユダヤ人の運命もかわっていたのだろうか。
一瞬の重い責任。余りにも広大で印象までもが、どんどん手から離れていくようだ。

 忘れちゃいけない今回の旅行の最大目的は、若者オケによる2回のド迫力「
復活」とイスラエルフィルの「第九」。
 練習中の「復活」に割り込む絶妙なタイミングの〜着メロ版「エリーゼのために」は、イスラエルを語るとき必ず登場するだろう。

 宿泊ホテルでオケ合わせができるという恵まれた環境の中
ある日練習室の隣の廊下で若いオケマン達が夜中2〜3時まで即席クァルテットをつくり、多分初めて合わせたのだろう、曲の合間に「Sorry!」と声を掛け合いながら、本当に楽しくて仕方がないという音をさせて練習していた。その姿に感動して、ちょっと目をうるませている先生同様、私達も飽きずに聴き入ってしまった。

 
イスラエルフィル「第九」オケ合わせ第1日目。第1楽章が始まった途端、空気がピンと張るのを感じた。聴いた事のない調和だった。音楽が流れるって、当たり前だけど止めてしまう人が誰もいないって事なんだ。もう、ただその場に居られる事に感謝した。翌1月1日の本番が観客総立ちと拍手の嵐だったことはいうまでもない。演奏後、ホール前でイスラエルのラジオ放送のテーマ音楽になっている「あかとんぼ」を歌ったらすごい拍手をもらった。
      2000年1月1日の初日の出〜エルサレムにて
 イスラエルの人々にとって、私が短い間に観たものは、過去の遺跡ですらないのかもしれない。現実の隣にあって、しかもそれは生き方の中に知らずしっかりと繋がっているのだ。

 シャバット(安息日)
に動かないエレベータに乗り、不思議顔の私達にただ「いいのよ」とにっこり微笑むおばあさん(毎週金曜日は2台あるエレベータの右側はボタンを押さなくてもいいように全て自動で動くようになっているのだ。徹底している!)
 夕食後にコーヒーを飲みたいと言った私達に「コーヒーを飲んだらミルクを入れたくなるだろう?ラウンジでなら飲めるよ」と
コシェルを詳しく説明してくれたウェイター、急にエルサレムストーンがとても暖かい色に見えてきて、いつか必ずまた来るから観光はもういいや、と思ってしまった。あドゥオモの扉−彫刻が素晴らしい!!〜あ!

ミラノのドゥオモ
ミラノのドゥオモは素晴らしかったけれど鑑賞は次にしよう。ギャップに耐えられず夜、高熱を発して寝込んだ今回の旅の終着点は、ミラノの空港で、アリタリアの隣に佇むテルアビブ行きの飛行機に向かって、我がAコースの比較的若者4人が思わず叫んだ、この言葉かな。
「帰りたい〜!!」

≪今回のおみやげ≫
イスラエルのダイヤモンド:あんまりカットが美しいので買ってしまった・・・でも今思えばイスラエルを思い出すのに一番のおみやげとなりました。

ケルン&マーストリヒトの旅へ
≪エルサレム≫
市内の交通:
・エゲッドバス
料金は一律4.5NIS
11回分乗れるカルティスィヤ45NISで運転手から買う。
99番は主な観光スポットを回るバスで10:00-16:00までヤッフォ門近くから1時間おきに出る
・タクシー 値段はまちまちで毎回誰が一番安く帰ってきたか競ったものです


宿泊ホテル(エルサレム):
HOTEL MAALE HAHAMISHAH
マーレ・ハハミシャ
JUDEAN HILLS 90835
TEL:972-2-533-1331
キブツ・ホテル。旧市街までタクシーで20分程

・ベツレヘムへ
鉄道は走っていない
エルサレムからアラブバス21,22,23,125で30m(2NIS)
・聖誕教会
5:30〜日没(冬-18:30)
無休・無料




・ヤド・バシェム
(ホロコースト博物館)
バス:13,17,18,20,21,23,27,99
来た道を戻りHazikaron St,を入る
9:00-16:45(金-13:00)
休:土曜 無料
















・死海
(エン・ポケックへ)
エルサレムから421,444,486、489のバスで約2h(40NIS)
エイラットから444で約2h(38NIS)
(エン・ゲディへ)
エルサレムから421,486,487のバスで1.5h(30NIS)
エイラットから444で2.5h(50NIS)

・マサダ
エルサレムからエン・ゲディ経由エイラット行き444のバスで2h
(27NIS)
18NIS(学割15NIS)
ロープウェイ
8:00-18:00(金曜祝前日-12:00)
休:なし 往復50NIS(学割47NIS)

・クムラン
エルサレムのセントラルバスステーションから421,486,487で50m
(30NIS)
8:00-17:00(金曜祝前日-16:00)
休:なし 14NIS(学割12NIS)
TEL:02-9942235
ここで1947年発見された死海写本はエルサレムのイスラエル博物館内にある死海写本館で見ることが出来る

・イスラエル博物館
10:00-17:00(金曜祝前日-14:00、土曜祝日-16:00、火曜16:00-22:00※死海写本館は火曜10:00-22:00もオープン)
28NIS(学割22NIS)
土曜はチケット売場はお休み
TEL:6708811
http://www.imj.org.il/


≪シャバット(安息日)≫
イスラエルの生活習慣で金曜の夕方から土曜の夕方までを安息日としている。これは旧約聖書の創世記に神が天と地を創造する過程で7日目に神が創造を終えて休んだ事、「夕となりまた朝となった」記述から夕方から夕方までを1日と考えていることから来ている。ただし夕方を「日没」としている事から季節によってずれる。基本的にエゲッドバスはストップ、観光地やレストランの多くが早くにしまるのでお気をつけあれ!


≪ミラノ≫
ドゥオモ Duomo
地下鉄1/3号線Duomo駅
1386年ミラノ公ジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティの命により500年もの歳月をかけて完成した大聖堂。天上に向かって伸びる135本の尖塔と2245本の彫像で飾られた白大理石の外観が迫力。ここへ来たら屋上へ行こう。街並みも感動的です。

≪ヘブライ語を覚えよう!2≫
今日 ハイヨーム
昨日 エトモール
明日 アハル
あさって マホラタイーム
朝 ボケル
昼 ツォホロライム
夜 ライラ
金曜日 ヨーム・シシー
土曜日 (ヨーム)シャバート
日曜日 ヨーム・リショーン
月曜日 ヨーム・シェーニー
火曜日 ヨーム・シュリシー
水曜日 ヨーム・ルヴィイー
木曜日 ヨーム・ハミシー
祭日 ハグ

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簡単な旅の日程
<1999/12/22〜
      2000/1/3>

@AZ789ローマへ
Aローマ自由行動
B
AZ808でテルアビブへ
専用バスでエルサレムへ
C〜Jエルサレム
・マーラー「復活」
12/28,20:30エルサレム国際会議センター
12/29,20:30リション・レツィオン文化会館
・ベートーヴェン「第九」
1/1,20:30テルアビブ文化会館

K
AZ805テルアビブから
ミラノへ。ミラノで1泊
L〜Mミラノ発AZ788で成田へ
旅行代金¥238,000
(エルサレムのホテル・朝食は別。現地主催者の補助があり、10日間で4万円程)

≪旅行される方へ
  トラブル回避≫
・イスラエルの入国スタンプがあると周辺諸国に入れない事があるので、回る予定のある人は「ノースタンプ」と言えば別紙にスタンプを押してくれます。一度押されてしまうとパスポートを作り直さないと行けませんの強く言うこと。ちなみに私は予定がないのでしっかり押してもらいました(^^ゞ
・テロ対策のためイスラエル出入国の際には徹底的に手荷物検査が行われます。トランクを開けられるのはあたりまえ。英語で質問攻めにあいますので出国の際は3時間前には空港にいるのが定説です。大変ですが絶対に必要な事ですので耐えましょう。
・テルアビブ市内でも実際に爆弾テロが起こっているという現実を忘れない事。路線パスの使用も本当は避けたい。私はホテルとの行き来には殆どタクシーを利用しました。


※「2005年3月17日イスラエルのテルアビブでガリ・ベルティーニ氏死去」の速報に皆驚きました。イスラエル公演のきっかけは、新宿文化センターでの、ヴェルディ「レクイエム」公演だったそうで、去年5月にはマーラー「千人の交響曲」を歌わせていただいたばかりでした。
みなとみらい公演で、彼が指揮台に立ち棒を振り下ろす瞬間までの、演奏者も聴衆も息をしていないかのような静寂。それはまさしくあの時彼から強烈に発散されていた鬼気迫るものに観客がのまれていたからだと思います。葬儀は現地時間の20日テルアビブのオペラハウスで厳かに盛大に営まれたそうです。
 アマチュア合唱団をイスラエル公演に招待してくれた最大の謎は、そのまま謎として残りました。
心からご冥福をお祈りいたします。

「第九」の共演者 無理やり簡単にまとめてみました イスラエルの歴史 2 ヘブライ語って?≫
曲:ベートーヴェン「第九交響曲」
指揮:ガリー・ベルティーニ
管弦楽:イスラエル・フィルハーモニー
合唱共演:プラハ室内合唱団
テルアビブ文化会館
(イスラエル・フィル本拠地)
 18世紀も終わり頃になると様々な分野へのユダヤ民族が進出し、1791年のフランス革命ではユダヤ人に参政権が与えられ認められるようになっていった。
 1894年フランスのユダヤ人将校ドレフュスがぬれぎぬで裁判にかけられる事件が起こった事から、ユダヤ民族問題はユダヤ人独立国家の創設により解決されると考えられ、パレスチナに公的に保障されたユダヤ民族の国を築く「
シオニズム運動」へと移行していく。
 この後第1次世界大戦の敗戦国ドイツ・アドルフ・ヒットラーの「敗戦と経済破綻の原因がユダヤ人にある」との信じられない主張によりホロコーストが起こり、戦争に勝ちたい為にユダヤにもアラブにも「いい顔」をしてしまったイギリスによりイスラエルは建国したがパレスチナ・アラブとの第1次〜4次中東戦争及びパレスチナ難民問題が起こり、現在もその問題は解決していない。
イスラエルの公用語はヘブライ語とアラビア語。イブリー(ユダヤ人の意)をギリシア人がギリシア語で書いた時にHをつけて表記したのがヒーブリュー、ヘブライの語源。新約聖書の「ヘブル人への手紙」はユダヤ人に宛てた手紙のこと。3世紀ころにすたれたヘブライ語をエリエゼル・ベン・イェフダが日常語として復活させるまでには、古代エジプト文字の読解に似た努力が必要だったようです。
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