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まずはローマからイスラエルへ! |
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「年末どこへ行くって?」「イスラエル」「何がある所?」「キリスト教の聖地・・・」私の知識ったらそんなもの。思えばこんなに予備知識なしで行く旅は初めてだった。こんなに後ろ髪引かれる思いをした旅も・・・
今回は2000年問題を危惧する声や96年以降のテロ事件に伴う「注意喚起」発出で合唱団の主催旅行となり添乗員も旅行会社の社員としてではなくお願いして参加していただくという「行って大丈夫なの?」と皆に言われてしまう旅でしたが、やはりイスラエル・フィルの魅力にはかてず・・
<ローマ>
旅の始まりはローマの夜に権力の亡霊の様に不気味にライトアップされた古代ローマ時代のコロッセオ。昔剣闘士と猛獣のいかにも凄惨な試合を5万人もの見物人が楽しんでいたという遺跡があくまでも過去の遺跡として切り崩され、床も壁も朽ち果てたそのままの姿で生活の隣に当然のように存在する事に足元をすくわれそうな恐怖を感じた。
翌日はわき目もふらずヴァチカン市国へ。ここは神聖なカトリック総本山で独立国を形成している。国であるが短パン・ノースリーブなどの服装では入場できない。観光客である私達もその権威に茫然とするしかない迫力。柱の上の巨大聖人像は、大き過ぎてちょっと笑っちゃったけど・・・
今日は12/23、明日のクリスマスイブにはサン・ピエトロ大聖堂の一番右にある聖なる扉が25年に一度開くので、門の前は数え切れない程の椅子が並べられ、「ピエタ像」の前には立ち入り禁止の柵が作られ遠めでしか見られないのが残念。でもかえってヴァチカン美術館には待たずに入場でき美しいらせん階段を登りチケットを購入。考えられないほどの広大さを配慮してかA:1h30m〜D:5hまで4つのコースが床に色分けされていて色をたどれば一巡できるようになっている。さすが・・・でも時間はたっぷりあるので見たい所を片っ端から見ていく。回廊や天井までもが芸術的で特に「地図のギャラリー」がお気に入り!ちゃんと日本も描かれていました。
システィーナ礼拝堂の「最後の審判」は思ったとおり素晴らしい!洗浄と修復で当時の鮮やかな色彩が蘇り、ミケランジェロがたった一人で12年かけて描いた、天井画「創世記」と共にベンチに座って「これがネロ帝の迫害を受け殉教したあのペトロのお墓の上に建てられた教会なんだー」とただもう圧倒されてポケーッと口を開けて見上げるしかなく・・・
そう、その時まで確かに、これがイエスや弟子達が死も恐れず成し遂げた輝かしい功績、キリスト教の最終的な姿なんだ、と思っていたのだ。
翌日は古代ローマの遺跡の街フォロ・ロマーノへ。丘から見下ろした遺跡は神殿の円柱の1本を見てもその大きさから想像される神殿の大きさに圧倒され、ブルータスがシーザーに殺された場所だの伝説のように感じていた場所をこの目に見て、またもや時間に引きずられるような、足元の砂がなくなって時代が戻っていくような恐怖を感じた。
そして、ローマがユダヤ戦争の勝利を記念し、その行進を浮彫にしたティトス凱旋門を通って、イスラエルへ向かったのである。
イスラエルで見た・感じた何もかもが余りにも広大で私達には本当の意味で理解することはできないのだと思い知らされた・・・
当分行かれないであろう街だからだろうか?
今までで一番後ろ髪を引かれた旅となった。 |
<エルサレム>
砂漠の丘に溶け込むエルサレムストーンの街。夕方になるとイスラムのコーランが大音響で流れる街。う〜ん・・ローマでの印象とのこのギャップは一体何だろう。
圧倒されたのは、旧市街の一度入ったらただ流されるしかない人口密度の高さと人の熱気。人でいっぱいの細ーい路地を同じ幅の荷台がためらう事なく突進してくる。(もう店の中に逃げ込むしかない!)
エルサレムに来るたび、神殿で物を売る商人達を出て行けと蹴散らかしたイエスの姿が目に見える様。「買い物はまず半額から交渉を始めること」との忠告を守りショッピングに挑戦してみたが、それでも高く売りつけられてるんだろうなーと思いながらも、あんなに楽しい買い物は生まれて初めてだった。実際、高く値段を付ける割には値切るというより交渉次第で価値が半分になっていくというのに、どの人達にも高く売りつけようという気負いが余り感じられないのが不思議。
旧市街でおすすめはダビデの塔。紀元前20年にヘロデ王が建てた。入口から時計回りに歩くとエルサレムの歴史が分かるような造りになっている。
嘆きの壁では急に車の拡声器で”出ていけー”(多分)とがなり立てられ、観光客はもちろん祈っているユダヤ人まで一角から追い出された。どうも爆発物騒ぎらしい。好奇心で立ち去る事も出来ず、30分程うろうろと待っていたが、ついにその場を離れると後ろでバーンと爆音が・・・(+_+) この騒動は日本でも報道され、家族の不安を一気にあおった様だが不振な荷物が見つかったので爆破したという事だったらしい。
ヴィア・ドロローサ(悲しみの道)はイエスが死刑判決を受けたアントニアの要塞から、十字架をかついて処刑の行われたゴルゴダの丘まで歩いたと信じられているルート。聖書に記されるその過程の出来事を記念した14のステーションが設けられパンフレットを見ながら自由に回れるようになっている。ツアーもある。
今日はクリスマス。イエスが処刑されたゴルゴダの丘といわれる場所に建てられた聖墳墓教会へ。マタイ受難曲における「エーリ、エーリ、ラマ、サバクタニ(我が神、我が神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか?)」と叫んで息をひきとった場所である。まだ午後4時過ぎだというのに、店は閉まり、人影疎ら、教会の入口さえ見失った。とにかくこの旧市街から出なければと急に足早になる私たちの前にひょっこり現われた、にこやかな人に教えられ小さな門をくぐると、洞窟の様に暗い教会の中は人と様々な宗派(聖墳墓教会の中にはローマ・カトリック、アルメニア、コプト、ギリシア正教等の宗派があり、各宗派の力関係が教会の場所に表れているのだそう)の祈りの熱気であふれている。
イエスが磔になった場所は「丘の上」を意識してか2階部分にあるがなぜか2つの宗派のそれも金ピカのケバケバしい祭壇が並んでおり、お互いに決して相手の陣地にははみ出さないそうである。(何だか子どもの意地の張り合いみたいにも感じるが・・・)十字架から降ろされたイエスの聖骸に香油を塗ったとされる大理石板にすがり口づけする人々の真摯な姿に無信仰者の後ろめたさを少々感じるが、ここまで来たからには何時間並んでも入らねばとようやく拝めたイエスのお墓には小さな石の台とビロードの布を美しく照らすロウソクの明かりと静かな対話のみ。何を期待していたのだろう。
少なくとも巨大な竜巻を起こす裁判者キリストの姿は、ここには見られない。
⇒あまりに長くなりそうなのでイスラエルの旅<2>へ |
≪ローマ≫
フィウミチーノ空港への直行便で成田から約12時間。
国際列車の起点のミラノからIC4h25m
市内の交通:
地下鉄(A/B)・トラム・バス共通
宿泊ホテル(ローマ):
UNIVERSO
Via Principe Amedeo,5/b 00185 Roma TEL:0662-88-20-31
・ヴァチカン市国
<ヴァチカン美術館>
Musei del Vaticano
A線Ottaviano駅から徒歩7分
8:45-13-45、復活祭と7/1〜9/30は-16:45
(土は-13:45)
休:月、最終日以外の日・祝日
・サン・ピエトロ大聖堂
7:00-19:00(冬-17:00)
クーポラ
8:00-18:00(冬-17:00)
クーポラ
・システィーナ礼拝堂
Cappella Sistina
1475年から5年間かけて建造された礼拝堂。教皇を選出する祭は枢機卿がここで選挙を行う神聖な場。ミケランジェロが天井画に「創世記」を1508年から12年かけて描き、入口の壁に「最後の審判」を1536年(この時既に60歳!)から1年以上かけて描いた。
・フォロ・ロマーノ
Foro Romano
ヴェネチア広場から徒歩10分
≪イスラエル≫
テルアビブ郊外ロッドのベングリオン空港が玄関口。
日本からの直行便はない
シャバット(安息日)はエゲッドバス・商店・レストランもほぼ休日になる。金曜日の日没から土曜の夕方まで。
・国内の交通
バスが主要都市間を走る
≪エルサレム≫
市内の交通:
・エゲッドバス
料金は一律4.5NIS
11回分乗れるカルティスィヤ45NISで運転手から買う。
99番は主な観光スポットを回るバスで10:00-16:00までヤッフォ門近くから1時間おきに出る
・タクシー 値段はまちまちで毎回誰が一番安く帰ってきたか競ったものです
・ダビデの塔
Tower of David Museum of the History
ヤッフォ門入ってすぐ右手に見える尖塔、シタデル(要塞)と呼ばれる。
9:00-17:00(金土祝前日-14:00)
入場:32NIS
・嘆きの壁
wailing wall
ハ・コテル・ハ・マアラヴィー
ヤッフォ門からずっと坂を登っていくとある。70年にローマのティトス将軍によって崩壊させられた神殿の西側の外壁。年1度しか許可されなかった来訪は1967年に自由に祈る事が出来るようになった。下から7段目までは第2神殿時代(地下に17段が埋まっている)、その上4段がローマ時代の石
・ヴィア・ドロローサ
Via Dororosa
金16:00(冬季15:00)エッケ・ホモ教会向かいのアラブ人小学校El Omariya
School発
・聖墳墓教会
Church of Holy Sepulchre
8:00-日没頃
休:なし 無料
≪ヘブライ語を覚えよう!1≫
こんにちは シャローム
さようなら シャローム
ありがとう トダ ラバ
こんにちは エレブ トーブ
また会いましょう
レヒトラオート
乾杯 レハイム
はい ケン いいえ ロー
はじめまして
ナイーム メオッド
おやすみなさい
ライラ トーブ
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簡単な旅の日程 |
<1999/12/22〜
2000/1/3>
@AZ789ローマへ
Aローマ自由行動
BAZ808でテルアビブへ
専用バスでエルサレムへ
C〜Jエルサレム
・マーラー「復活」
12/28,20:30エルサレム国際会議センター
12/29,20:30リション・レツィオン文化会館
・ベートーヴェン「第九」
1/1,20:30テルアビブ文化会館
KAZ805テルアビブから
ミラノへ。ミラノで1泊
L〜Mミラノ発AZ788で成田へ
旅行代金¥238,000
(エルサレムのホテル・朝食は別。現地主催者の補助があり、10日間で4万円程)
≪イスラエルに
ついて一言≫
旧市街も新市街も基本的に砂が舞い上がってごちゃごちゃしているのに変わりはありませんが、街を走るタクシーを良く見ると、あれれベンツばっかり!凄いなー、でもあれ?
ベンツと言えばドイツ。実は第2次世界大戦後ドイツはホロコースト代償としてかなりの額の賠償を行ったそうですが、このタクシーのベンツもその一部なのだとか。よく考えると凄い話。
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今回の共演者(復活) |
無理やり簡単にまとめてみました イスラエルの歴史 1 |
≪ベートーヴェン:第九≫ |
指揮:ウリエル・セガル
管弦楽:エルサレム・インターナショナル交響楽団
主催:SHIRA(イスラエル国際芸術文化振興会)
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ユダヤ人もアラブ人も父祖は「ノアの箱舟」の主役ノアから10代目に当たるアブラハムだと考えている。神から与えられた地カナンは現在のパレスチナ地方だが孫ヤコブの時代に飢饉に見舞われ一族は息子ヨセフを頼ってエジプトへと移住し過酷な奴隷生活を送っていた。紀元前1270年頃モーゼが民族をまとめてエジプトを脱出し、シナイ半島で十戒を授けられた。ユダヤ教はこの教えを今も忠実に守っている。
やがてカナンに戻ったユダヤ民族は紀元前1020年イスラエル最初の王サウルが即位。2代目ダビデが首都をエルサレムとし息子のソロモンが第1神殿を建てて国民を団結させた。だが結局南北2つに分かれアッシリアとバビロニアにそれぞれ滅ぼされたが紀元前164年ユダヤはついに自治独立を勝ち取る。しかし、紀元前60年以降今度はローマによる支配が訪れる。一度は反乱を起こして70年ついに鎮圧されエルサレムは陥落。独立の夢は破れる。「ユダヤ戦記」を書いたヨセフスは反乱軍からローマ軍に投降したユダヤ人軍司令官である。その後もパレスチナには十字軍など様々な征服者が表れ、世界に散ったユダヤ民族は迫害の対象となった。
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☆楽譜を手に入れる!
ベートーヴェン「第九交響曲」(音楽之友社)
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