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イタリア
〈2014~2015年版〉地球の歩き方
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再びローマに戻り、午後はローマを3時間程バスで観光に出かけました。前回はヴァチカン市国に直行したため、実は真実の口もトレヴィの泉⇒もろくに観光していなかったので、後ろ向きでコインを投げたり、自由時間にピザを食べたり、スペイン広場の階段を登ったりの街歩きもなかなか楽しい~。日本人のガイド付きでコンパクトに行きたいところだけ色々まわってくれる市内観光も時にはいいなぁ。最後は市内観光に含まれているのであろう三越ローマ店に案内されたのですが、ビトントで買い物が難しかった反動で女性グループの購買意欲に火がつき、ベネチアンガラスのペンダント等の買い占めるがごとくの勢いが凄かった!やっぱり女は買い物がないと・・・あー楽しかった。
同じイタリアでも、南イタリアのコース料理のメインは、リゾットかパスタならオレッキエッテ(小さな耳という意味を持つショートパスタ)などが主で、私たちがイメージする細長いスパゲティなどは殆ど目にすることがなかった。そこで、スパゲティを求めてローマの街に繰り出した仲間も多かったようだが、私たちは足りないお土産物を物色しがてら巨大な駅の構内にあるマーケットでサラダやお惣菜などを買い込んで部屋でミニパーティをしながら明日のツアーの為に、ゆったりと演奏旅行の疲れを取ることにしたのでした。
≪ポンペイ&ナポリ1日ツアー≫
翌日は、1日かけてバスでポンペイとナポリをまわるツアーへ。添乗員は日本語ペッツラペラなイタリア人のイケメン男性でした!
高速道路を1時間走った後、途中で牧場見学と水牛のモッツァレラ・チーズ試食へ。モチモチでツルツル!まぁそのフレッシュで美味しいこと。日本ではなかなか出来立ては味わえないので、思わずツアーに参加していない人へのお土産に買っちゃいました。
<ポンペイの街>
ポンペイの位置はこんな感じ。そして火砕流はこの方向に流れた。
↓巨大な神殿の柱だけが残っている。ところどころ鮮やかな色彩の壁画がうっすらと残っている。
↓建物にはそれぞれお店 の内容を示すイラストが看板に描かれている・・文字が読めない人でも何の店かがわかるように。
↓神殿も水道も完備され、道路には
馬車の轍の為に凹凸が付けられて
いて、それがそのまま洪水時にも歩ける足場になってる。道を横切るよう飛び石のようになっているいわゆる横断歩道もある!
→飲み屋さんのカウンター?美しいパッチワークの大理石がそのまま残っている。
下の写真は同じ店の竈。
↓最大の見どころのひとつ、秘儀荘の壁画:建物の中では赤の色彩がこんなに鮮やかに残っていて、結構ビックリ!当時の宗教儀式が描かれている。
→ポンペイの街の中でも灰が降り積もった部分は比較的そのまま残っている。その残っているということ自体が、当時の建築技術の高さを語っていて凄い!レンガ造りの倉庫?やいわゆるサウナ付きの公共温浴場、上下水道も完備され、きれいな水が蛇口の付いた水道管!へと送られていた。屋敷の台所には高低差を利用して、水場が引いてある。が、しかしこうして発掘され、外気にさらされた事で建物の倒壊もこの数年進んできているらしい。ということは火山灰で地中に埋まらなければ私たちが過去の遺産を目にすることもなかったのかも。時の流れの残酷さをまざまざと感じる場所でもあります。
<ナポリの街>
ナポリの港に着いたのは夕暮れ時。
ツアーの中に一人で参加している可愛い女の子がいて、今からフィレンツェだかに行くというのでナポリでお別れしました。港には巨大なクルーズ船が泊まっていました。ビルより高い!
サンセットが美しくてただずっと眺めてました。あ~思い返せば楽しい旅だった。これが今回の旅の終わり。
⇒次は、たまには日本国内演奏旅行(会津若松1)へ
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真実の口
オレッキエッテ
プーリア地方の伝統的なショートパスタ。街中でお母さんたちが家の中で作って外で網に広げて乾かしている。
≪ポンペイ&ナポリ≫
→素敵な宿泊施設がある牧場でモッツァレラチーズを試食
水牛、瞳がかわいい・・
≪ツアーのイタリアン!»
フリッター!
↓
大きさは温州みかん、でも味はオレンジ!甘い!!
↓
ナポリ地方の名産ワイン
ラクリマ・クリスティ
(キリストの涙)
食事の前に、イケメンガイドさんの知り合いだという果樹園を突然見学させて頂くことに。ここが楽園かと思うような素晴らしい場所で、1本の樹にオレンジとレモンが一緒になっている?不思議な場所でした。
↓バスから見たナポリのアパート。ある意味今回の旅行の中でイメージに一番近いイタリアの日常風景かも。
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≪国内演奏旅行編≫
会津若松1、2
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旅行日程 |
2012年11月18日(日)~28日(火)
・11/24土 バーリからローマへ
・11/25日 ローマで1日フリー(ポンペイ&ナポリ1日ツアー)
・11/26月 帰路へ
ホテルの朝食!
<今回のお土産>
ポンペイ・ナポリ1日ツアーの帰り道に寄ったお土産屋さんのかごに山と積んであった、モンテ・カッシーノの修道院発祥の無添加ハンドクリーム。エクストラバージンのオリーブ使用ですが、これが!!日本でどのハンドクリームを使ってもべたつきが気になっちゃう私が何ですが、人へのお土産に丁度良い大きさだなーと試しに付けた後、5歩で思わず回れ右して戻ったほど!サラッサラの付け心地で素晴らしい!!後からこんなにいらなかったなーという友人から追加で買ったほど気に入りました。誰かイタリアから買ってきて~。
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ポンペイの発掘 |
ポンペイ |
遺跡の保存 |
永い間地下に眠っていたポンペイの町が目覚めたのは、1594年から1600年に掛けて、サルノの谷を開墾の為に建築家メドニコ・フォンターナが円形劇場付近を掘り始めた時です。
この時、掘削の現場から記録が発見されて、この下に複数の町が眠っている事が発見されました。1748年ブルボン家のカルロが統治していた頃、エルコラーヌの手により最初の発掘が行われ、後1860年ジュゼッペ・フィオレッの指揮のもと本格的な発掘が行われました。
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ポンペイ(ラテン語:Pompeii、イタリア語: Pompei)
イタリア・ナポリ近郊にあった古代都市。79年のヴェスヴィオ火山噴火による火砕流によって地中に埋もれたことで知られ、その遺跡は「ポンペイ、ヘルクラネウム及びトッレ・アンヌンツィアータの遺跡地域」の主要部分として、ユネスコの世界遺産に登録されている。
18世紀に発掘が開始され、現在は主要な部分が有料で一般公開されている。この遺跡は、カンパニア州ナポリ県所属の基礎自治体(コムーネ)・ポンペイの市域に所在するが、現在のポンペイ市街は19世紀末に建設されたもので、その中心部は古代ローマ時代のポンペイとは少し離れている。
なぜ鮮やかなポンペイ・レッドの壁画やフレスコ画の絵などの美術品が永い年月これほど色鮮やかに残っているのかというと、火山灰を主体とする火砕流堆積物には乾燥剤として用いられるシリカゲルに似た成分が含まれ、湿気を吸収した。この火山灰が町全体を隙間なく埋め尽くしたため、劣化が最小限に食い止められたとのこと。
しかし、ポンペイの建築物が発掘により白日の下にさらされたことにより、止まった時計が再び動き出すかのごとく、風雨による腐朽が進行するようになった。2010年11月8日には「剣闘士の家」と呼ばれた建物が倒壊したが、他の建築物も同様に崩壊していくものと思われる。
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噴火の際、埋もれて灰になった穴には石灰液を流し込み、形を取る工夫がなされ噴火によって亡くなった人や動物の痕跡を保存する工夫がなされました。そしてこの様にして恐怖の悲劇が私達の目の前に蘇えってきたのです。苦しさの為体をよじ曲げた犬が鎖で繋がれ侭屋根に潰された儘の姿で発見され、更にこの場所からは逞しい男が両脇に子供と奥さんを抱えた姿で発見されています。
ローマ人の余暇地として繁栄したポンペイの最盛期の人口は約2万人といわれる。市民の多くが火砕流発生前にローマなどに逃げたが、何らかの事情で街にとどまった者の中で逃げ遅れた約2千人が犠牲になった。
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